ここに引っ越してきた当初から、ずっとご近所の特定の人に悩まされています。
ご近所には悩まされている人は多くいると思います。
霊的視点から考えたことをブログに書こうと思います。
その人は、建物に2台並びであるエレベーターの真ん前の部屋に住んでいるのですが、同じ階の住人の子供が通るたびに部屋にいれば顔を出し「静かにしてください!」と、さぞ迷惑そうに暗い顔を覗かせるのです。声を出さずに静かに歩いても、子供の歩調が気になるのか、前を通ると待ち構えて玄関から出てくるのです。
マンションの構造上、エレベーター前が単身者向けの間取りになっていて、端はファミリータイプの間取りになっています。非常階段もその単身者の玄関前なので、、階段を降りると足音が響いてしまい、「ウルサイ」と飛んで出てきます。
同じ階に住む子供のいる他の世帯も標的で、ウチだけが標的にされたり恨まれているわけではありませんが、保育園の行きと帰り、休日の外出時を思うだけで気が重たくなります。ゴミ捨てもままならないため生活上非常に支障が出ています。
先日は、他の世帯の子供が家の中で泣きじゃくっている声が廊下に漏れ聞こえていたのでそっと覗くと、案の定そのファミリーの玄関前で、その単身者が地団太を踏んで声を出さずに怒り狂っていたのでした(笑)。
たいしてウルサイわけでもないのに、子供が出す小さな音にまで敏感であるのは、よほどそこに執着があるのでしょう。
家族持ちのことが羨ましくて羨ましくて、きっと自分が寂しくて仕方がないという心理の表れなのだと思います。
敷地内に児童公園があって、子育て中の世帯が多くを占める団地のエレベーター前の部屋をわざわざ陣取り、そこに単身にしては割高な家賃を払って暮らし続ける理由が不思議です。
以前に暮らしていたことのある町の児童公園の隣にある団地にも変わった老人が暮らしていました。その公園に遊びに来る子供たちに毎日欠かさず自室から「うるさい!」と叫びながら望遠の一眼レフで撮影しているのです。
その公園で子供を遊ばせているときに、部屋から子供を撮影する男性に気付いた私はすぐにその公園での子供の遊びを切り上げて他の近くの公園に移動しましたが、保護者なしで遊んでいる子供は自分がオジサンに撮影されていることには気が付きません。
児童公園の方が先にあったはずなので、公園横の賃貸にわざわざ引越してきて文句を言うとは良くわからない行動ではありますが、実はとっても寂しくて、そのような歪んだ行動でしかその内面に抱える気持ちを表現できないでいるのでしょう。
私も変な拘りで困った時期がありました。例えば…
神戸にいて阪神大震災直後で電気もガスも水道も使えない時に空腹に耐えられなくなった私が、たまたま家にあったのがそれだけだったという理由で口にしたイチゴショートケーキというものの存在が「辛さ・寒さ・切なさ」等の象徴となってしまい、苺の乗ったショートケーキを憎むほど嫌いになりました(笑)。見ただけでも吐きそうになっていたのです。
自分に起こる事、目に見えていること全ては他人の仕業ではなく、自分の内面が表出して起こっていることです。苺のショートケーキの存在に私が気分を悪くするのは苺が悪いわけではありません。それを見ている側の心理になにかしらの引っかかりがあるということです。
世界中のショートケーキから苺を取り除けば解決する問題ではないのです。ショートケーキ側が自分の見た目を気にして、なにか遠慮する必要はないということです。
つまり、エレベーター前の単身者に対して、私がどのような特別な態度も取る必要がないということです。堂々としていればいいのです。
でも、それを気にしてしまう自分がいるということは、私の中にある「何か」が原因となっているとも言えるのです。
目の前に起こることは全部自分次第なのです。
自分の内側の何かに気付かない限り、それは永遠に続いて行きます。
そんな事に想いを巡らすことの多い日々です。
エレベーター前の単身者が私に気付かせてくれているのです。
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